● 2008年5月12日に発生した四川大地震の中心的被害地、綿陽市北川チャン族自治県が8日午後から9日早朝にかけて、豪雨に見舞われた。震災により放棄された旧市街区の「地震遺跡区」は川の増水で水没した。中国新聞社が報じた。(写真は「CNSPHOTO」提供)
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サーチナニュース 2013/07/13(土) 11:49http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0713&f=national_0713_018.shtml
【中国ブログ】愚かだ…大金かけ保存の四川大地震遺跡、洪水で水没
中国四川省で7日から降り続いた豪雨によって約100人の死者・行方不明者が出たほか、2008年5月12日に発生した四川大地震で廃墟となった街を保 存した「地震遺跡」が水没した。
中国国内では、数億元を費やしたとされる「地震遺跡」は現地官僚の点数稼ぎのために進められた愚かなプロジェクトだったと する意見も出た。
カナダ在住の地質学者で四川地震の現地考察を行ったことのあるケイ少丞氏は、科学網内の自身のブログで10日、
「私は地震遺跡は保存できないと 言ったはずだ」
とする文章を掲載した。
ケイ氏は地震発生直後に記録映画制作班とともに北川県の廃墟に足を踏み入れた際、大地震によって地形は極度にアンバ ランスな状態となっており、短くて数十年、長くて数千年は
「街は同じ場所に再建できないし、地震遺跡も保存できない」
と語ったことを明かした。
にもかかわらず、現地政府は「主観的な意志」を変えず、「永久保存」をテーマとして数億元の費用を投じて遺跡保存プロジェクトを進めたことにより、
「科学を尊重しない施策で、人民の血と汗が詰まった金銭を浪費した」
と批判した。
被災地における洪水災害は今回が最初ではない。
震災発生からわずか4カ月後の08年9月に大雨により山崩れや土石流が発生、遺跡の半数以上が埋まったほか、11年にも大雨により「北川大酒店」の廃墟が3度水没した。
地震による甚大な被害、悲しい記憶を後世に残そうとする取り組みは咎められたものではない。
ただ、当初から「保存は不可能」とする忠告があった にもかかわらず、全く耳を貸さずに巨額を投じて保存プロジェクトを進めた結果、全てが「水の泡」となってしまったことに対する責任は免れず、現地官僚の点 数稼ぎとの批判を浴びても仕方ない。
プロジェクトを進めた地方役人らは、水没すべくして水没したとも言える「地震遺跡」の跡形もない姿を目の当たりにして、どのような感情を抱いただろうか。
もし、「これはまた洪水遺跡を作らねば」などと考えているようであれば、もはや救いようがない。
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レコードチャイナ 2013/07/09(火) 13:32
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0709&f=national_0709_037.shtml
豪雨…四川大地震の「遺跡地区」も水没=北川チャン族自治県
周辺地域における8日午後から9日早朝にかけての降雨量は285ミリメートルに達した。
四川大地震にともなう山崩れで出来た「地震遺跡区」」の上流にある唐家山せき止め湖の水位は6メートル上昇した。
同湖の下流でも、川の水があふれ出した。
「地震遺跡区」で、保護の対象になっている犠牲者墓地や旧北川大酒店なども水につかった。
水没した遺跡は全体の8割程度で、水深は3.6メートルに達した。
同地区を訪れる見学者などのための電力や水道はすべて途絶えた。
道路も寸断された。
当局は地震遺跡区を、救援隊を除き立ち入り禁止にした。
今のところ、死傷者は出ていないという。
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◆解説◆
北川チャン族自治県は2008年5月12日の四川地震で壊滅的な被害を受けた。
同月20日午後6時までに、県内で死亡1万1522人、負傷9693人が確認されたが
「行方不明者は統計が困難」
とされた。
その後、北川県城(県政府などがある県中心市街地)は、土砂災害の被害を再び受ける可能性が高いなどの理由もあり放棄され、近隣の永昌鎮に移転した。
老県城(旧市街地)は四川大震災の記憶を残すための「地震遺跡区」として保存されることになった。
「地震遺跡区」は2011年10月1日から、見学者の立ち入りを全面的に受け入れることになった(写真)。
しかし、5月8日から9日にかけての豪雨では、大部分が水没したという。
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