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● 空港の書店に売られていた雑誌『佛教文化』
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JB Press 2013.09.24(火)
http://
jbpress.ismedia.jp/articles/-/38641
欲望にまみれた中国人の心を仏教は救うことができるのか?
病死した家畜の肉が市場に出回り、しゃぶしゃぶ屋では羊肉と偽ってネズミ肉を提供する
──
神も仏もない社会、「末法の世」とは、まさに現代中国を指すのかもしれない。
中国でモラルの崩壊に歯止めがかからない。
「バレなきゃなんでもアリ」とばかりに人が人を平気で欺き、「金のためなら不要な殺生もあり」と、あたかも餓鬼道に落ちたかのような乱世ぶりである。
人として行っていいこと、行ってはならないことを提示するのが、宗教の大きな役割の1つである。
これほどまでにすさんだ中国人の心を、果たして宗教は正しい道に導くことができるだろうか。
■書店のゴールデンラインに「仏教書」?
実はいま中国で、仏教が密かなブームとなっている。
東京からの直行便が発着する上海の虹橋空港、ビジネス客も多いこの空港に、小さな書店がある。
店頭には、『財経』や『看天下』などをはじめとする様々なビジネス誌が並んでいる。
買っていくのは明日の「発財(金儲け)」を夢見る中国人ビジネスパーソンたち。
「欲望都市・上海」の色は褪せることはない。
そうしたビジネス雑誌に交じって、一風変わったオールカラーの雑誌が販売されているのを見つけた。
雑誌の名前は『佛教文化』(佛教文化雑誌社)。
隔月刊で1冊20元(約320円)。
通巻で124号、とある。
手漉き風のザラザラした触感の紙を使っており、メジャーなビジネス誌とはまったく異なる風合いだ。
まるで切れない刃物で裁断したようで、手に取ると裁断の紙屑がぱらぱらと飛び散る(写真)。
ページをめくると、僧侶や信者が登場する様々な特集が掲載されている。
例えば、癌に倒れるも「食事や生活環境などを“仏教的なもの”に切り替えることで、病の進行を遅らせることに成功した中国の人気作家」の話。
また、「自転車で全国を行脚し、エコライフを説法する僧侶」の話もある。
ビジネス客を相手にした書店で仏教雑誌が売られているのは違和感を覚える。
そのうえ、一番客の目を引く、棚の“一等地”に置かれているのだ(日本でも『大法輪』や『月刊在家仏教』といった仏教雑誌があるが、ビジネス客向けの書店でこれほどの一等地に置かれることはない)。
しかし、店員に尋ねてみると「結構売れている」のだという。
売れているからいい位置に置いている、とのことらしい。
筆者の知り合いの中国人にも熱心な信者がいる。
上海の中小企業で働く友人の鄭さん(仮名)が腎臓結石になった。
筆者は電話口で「早く手術した方がいい」と強く勧めた。
激痛に襲われ苦しそうにする彼女だが、「来週は内モンゴルと瀋陽で入札があるから、入院はできない」と譲らない。
見舞いに駆けつけると、彼女は般若心経を一心不乱に唱えていた。
憔悴した彼女の姿にも驚かされたが、お経を唱えている姿にはさらに驚かされた。
数日後、彼女は出張先の瀋陽に飛んでいた。
現地から入ったメールには「菩薩が守ってくれた」とあった。
彼女のように信心深い中国人は珍しい。
中国人の圧倒的多数は金銭至上主義者であり、金銭以外の価値を信じている者は少ないのだ。
■袈裟を着た俗人ビジネス
現代の中国人がここに来て「仏教」に目を向け始めたのは納得がいく。
共産党を崇めても、金銭を拝んでも心の拠り所になり得ないことが、徐々に分かってきたのだろう。
かつての日本もそうだった。
日本では1970年代後半に東洋的価値の回顧が顕著になった。
高度経済成長期を突っ走り、ホッと一息つこうとしたときに、東洋の文化・芸術・宗教に思いを馳せることが、心のやすらぎにもなったのである。
例えば、NHK特集の「シルクロード」や、日本テレビで放映されたドラマ「西遊記」(主演・堺正章)が高視聴率を記録した。
音楽界では西遊記の主題歌の「ガンダーラ」に始まり、「異邦人」などのオリエンタル風な歌が大ヒットした。
平山郁夫氏の名画やシンセサイザー奏者の喜太郎氏が注目されたあの頃、日本人もどこかで心のバランスを取ろうとしていたのではないだろうか。
仏教を伝えたシルクロードを擁する中国で、果たして仏教は人々の心の拠り所となり得るのか。
あるいは道徳的な善悪の判断を与える存在となるのだろうか。
だが、残念ながら答えは「否」である。
現代の中国における仏教は、迷える衆生を救うためのものではなく、やはり金儲けのための一手段に過ぎないのだ。
筆者は上海在住の会社員の女性・王さん(仮名)と面会した。
「中国人にとっての仏教とは何か」と尋ねると、「低俗すぎて話にならない」と苦笑いした。
王さんは自らの経験をこう語った。
「昨年、母親を亡くしたとき、なんと7人の坊さんが母の家に押しかけてきたんです!」
部屋に入りきらない7人の坊さんたちに唖然とした王さんは、「読経はお坊さん1人でできるではないか」と寺側に抗議すると、「うちはこれでワンセットだから」と開き直られた。
費用は7人で約5000元(約8万円、普通のホワイトカラーの1カ月分の給料程度)にもなり、そのうえ、一人ひとりに“お小遣い”まで持たせなければならなかった。
また、旅行する先々では、「追いはぎのようなお布施の強要」に遭遇すると王さんは言う。
「団体旅行で海南島に行ったのだが、旅程はなぜか寺めぐりばかり。
しかも法外なお布施を求められたのには驚いた」
最初の寺では説法を聞かされた後、幸運祈願の文言が印刷された赤い紙切れを手渡された。
その直後、僧侶が出てきて「あなたのお布施の金額を、399元(約6400円)、199元(約3200円)、99元(約1600円)の中から選べ」と強いられたと言う。
その次に訪れた寺でも、同じようなことが起こった。棒のように太い線香を渡され、数百元単位のお布施を求められた。さらに、寺の周りは“御利益グッズ”を売る店が軒を連ねる。
「あまりに法外な値段で開いた口がふさがらなかった」
と、王さんは呆れ顔で語ってくれた。
最近、筆者の手元にはこんなショートメールが入ってきた。
「中国仏教協会の創立60周年に当たり、中国仏教四大名山の記念品を販売します」――(注:四大名山は山西省の五台山、四川省の峨眉山、浙江省の普陀山、安徽省の九華山)
中国仏教協会は、中国の各民族における仏教徒の連合組織でもあり、中央政府の宗教政策を助ける組織でもある。
中国仏教界の最大勢力が、ついに「通信販売」に乗り出したというわけである。
■1億人の市場をにらむ「中国仏教グッズ」
最近は、仏教グッズや仏教空間などがありがたがられる傾向にある。
2013年春、福建省で大規模な“仏具用品の見本市”が開かれた。
中国各地では “仏教空間”を採り入れた飲食業やホテル業も出現し、“仏教装飾”を手掛ける内装業界がもてはやされている。
座禅や写経もちょっとしたブームだ。
寺院を建立する富裕層も出現した。
その昔、寺院のない地域では、在家の有志が寺院を建立し寄進してきた。
だが昨今の富裕層には、寺を建てれば「信者のお布施とグッズ販売で金が儲かる」という算段がある。
8月下旬、日本でも深セン市の違法建築物が報道され話題となった。
21階建ての高級高層マンション屋上に増設されたのはなんと寺。
個人の信仰が高じてのものなのだろうが、明白な違法建築だろうと他人の迷惑になろうと、財力や権力にものを言わせたやりたい放題は、仏教信者においても変わることはない。
●3世紀に建てられたと伝えられる上海の静安寺
中国では1万3000の寺院があり、30万人が出家していると言われている。
仏教徒は人口の8%に相当する1億人に達する。
確かにその市場は大きい。
他方、信者の増加は「健康・長生き」の渇望と無縁ではない。
かつては「商売繁盛」が参拝の動機だったが、今では「死にたくない」に取って代わった。
中国人の長寿志向、健康志向の裏には、大気や水の汚染、食品への不安、治療費を貪り取る医療機関への不信などがある。
また、最近は暴飲暴食と不摂生のあげくに病に倒れる富裕層が増えているという背景もある。
共産党国家の根幹を成すマルクス主義は、宗教の信仰を否定している。
国は形式的に宗教の信仰を認めているが、中国の寺院は中国仏教協会を通して政府の統制の下に置かれている。
そのため、僧侶たちは確かに剃髪し袈裟を身にまとってはいるものの、どこまで厳密に仏の教えを研究し、実践しているかは分からない。
信者の質もまた同じようなものだ。
現世利益的な神頼みはあっても、徳を高めようと仏道を志す者にはめったにお目にかかれない。
確かに「仏教的な、質素な生活」に新たな価値を見出す中国人もいる。
しかし、商売人にとっては新たなビジネス領域にしか映っていない。
仏の教えも、たちまちに露骨なまでの金儲けのネタにされていく。
救いがたき衆生とはまさにこのことである。
姫田 小夏 Konatsu Himeda
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。
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サーチナニュース 2013/10/10(木) 14:52
http://
news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1010&f=national_1010_035.shtml
“末法”の様相…名刹の僧侶が女性囲み殴る中国・五台山
山西省にある名刹、五台山の僧侶が、修行のために滞在していた女性信者を集団で殴ったことが、中国で改めて問題視されている。
女性信者は重傷を負い、長期入院した。中国新聞社などが報じた。
五台山は「文殊菩薩の聖地」として中国内外に知られている。
山内に多くの寺があり、漢伝仏教(漢族に伝わり発展した仏教)とチベット仏教の双方の寺院があることも特徴だ。
女性は37歳で湖北省の住人。
仏教修行のため6月から五台山に滞在していた。
女性によると7月19日午前9時過ぎに境内で散歩をしたところ、僧侶3、4人が、農村出身の労働者が壁を作る作業をしているのを強引に阻止しようとしていた。
事情はよく分からな掛ったが、何の誤解で、清浄であるべき寺院内でのいさかいはよくないと思い、歩み寄って
「なんでそんなことをしているのですか?
修行者は口も心も合致させて『よい縁を広く結ぶ』ことを探求すべきではないですか」
と言った。
言い終わらないうちに僧侶の1人が
「くそったれ。殴り殺してやろうか」
と怒鳴った。
あまりにも汚い言葉で、顔つきもまさに「凶悪神」のようだった。
出家者の雰囲気とは正反対だった。
その時に五台山仏教協会や文物局の幹部、寿寧寺の僧侶らが通りかかり、女性を罵(ののし)った僧侶をいさめたので、女性も引き上げて、その日は植樹などの仕事をした。
翌20日の午前7時ごろ、女性は朝のお勤めを終えて寺の外を散歩していた。
「ダン、ダン」という大きな音が聞こえたので行ってみると、僧侶5、6人が棒や槌(つち)を持って、工事用車両を叩いていた。
フロントガラスはすでに割られていた。
女性が携帯電話を取り出して撮影すると、気づいた僧侶が
「写真を撮ったな。殺してやる」
などと叫んで殺到してきた。
女性は僧侶らに押し倒され、棒や槌で殴られた。
助けを求める悲鳴を聞いて別の僧侶が駆け付けると、女性を殴った僧侶らは逃げて行った。
血だらけになった女性は病院に搬送された。
警察官が事情を聞きに来たが、早い時期には対応できないほどひどい状態だったという。
女性を殴った僧侶は五台山内の三泉寺に所属すると分かったが、三泉寺の関係者は来なかった。
女性は治療費を払えなかったので、寿寧寺が立て替えたという。
女性は中国共産党が開設しているインターネット上の「地方指導者伝言板」に、同党山西省委員会のトップである袁純清書記宛に、同問題の善処を求める文章を書いた。
最近になり、メディアが改めて同問題を取り上げ始めた。
山東電視台(山東テレビ)は、改めて動画ニュースを配信。中国新聞社も転載した。
キャスターの男性は、「阿弥陀仏。私は罪を犯しました」と僧侶が懺悔(ざんげ)する様子を演じて、皮肉った。
まさに“末法”の様相と言えるだろう。
なお、中国の仏教信者は、日本の信者が「南無阿弥陀仏」と唱えるのと同様のニュアンスで、「阿弥陀仏(アーミートゥオフォー)」と言う。
女性の言い分がどこまで正しいかは確認されていないが、周囲にいた人が僧侶が地面に倒れた女性を殴る様子も公開されており、少なくとも大筋では、間違いない考えられる。
今のところ、三泉寺側の反論は見られない。
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◆解説◆
中国では仏教信者が増えている。
熱心な信者には、女性が比較的多い。漢族がチベット仏教を信じる場合もある。
少数民族の文化を、建前はともかく本音では「一段低いもの」と考える場合が多い漢族としては、珍しい傾向だ。
四川省内で活躍するチベット仏教の高僧のひとりは、
「社会の変化があまりにも速く、心が『壊れて』しまった人が多い。
さまざまな要因で、女性の方が傷つきやすい」
と教えてくれた。
全国各地から入門を求める人が訪れ、修行者数が1万人を超えた寺院もある。
同僧侶によると、、本格的な仏教修行以前に、「普通の心に戻す」ことが必要な人もおり、仏教者として懸命に対応しているという。
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